(表示名なし)2007年9月アーカイブ

 国民が選挙で国会議員を選出し、その国会議員が内閣総理大臣を選出する。一方、アメリカの大統領は選挙で直接選ばれる。どちらが民意を反映しているとか、それぞれの制度の良し悪しを比較されることは多いが、日本の総裁選のプロセスは本当にそのような間接民主主義になっているのだろうか。

 先日、突然の安倍総理の辞任を経て福田新総理が選出されたが、その選出プロセスを見ていると1つの疑問が出てきた。その疑問とは派閥による密室談合ではなく、「自由民主党総裁選挙」という曖昧な選挙システムである。
 総裁選は自民党の代表を選ぶ選挙のため、選挙管理員会も関係しない、いわば私的な選挙である。社長を決める役員会や学級委員を決める学級選挙と同列の透明性・公平性しか担保されていない。たとえ買収したとしても法で罰せられることはない。そんなプロセスを経て事実上の内閣総理大臣が選ばれている。
 しかも、総裁選では党員という年会費を払いつづけている自民党支持者も投票に参加している。仮に自民党所属の国会議員だけで総裁を選ぶのであれば、それはそれで国民が選挙で選んだ代表がその代表を選ぶ形になるのだが、そこに会費を納めている支持者が加わるのである。
 要するに、内閣総理大臣を選ぶプロセスに自民党員という「選挙で選ばれていない人たちの意見」が大きく反映されているということが問題であろう。報道では地方票とか民意と説明されている党員意識は本当に民意といえるのだろうか。

 自民党の総裁を選ぶのに党員の声を反映するのは良いと思うが、自民党支持者以外の代表でもある総理大臣を選ぶのに党員の声を反映させるのは、かなり問題がある。自民党総裁=内閣総理大臣となる今の体制下では、総裁選ももう少し慎重に制度設計する必要があるのではないだろうか。
 毎年、島根県と鳥取県に行っていますが、ここ数年、どんどん風力発電施設が増えつづけています。かなり巨大な風車がけっこうな勢いで回っているのは迫力があるというか、威圧的というか・・・どうも風力発電施設は北海道から九州まで、海岸に次々に作られ稼動しているようです。
 太陽熱による対流とか地球の自転で発生するエネルギー(風)を電気に変えるのは無駄がないというか、自然な感じがしていいですね。

 昔からずっと永久機関に夢を持っていて、時々アイデアがひらめいて作図してみて悩んでみたりしていました。支点からの距離が変わる重りをつけた歯車の永久機関とか、重石が転がるようにして回りつづける歯車のアイデアを思いついたときは天才かと思って自画自賛してたんですけどね。そんな敗退を繰り返したおかげでエネルギー保存の法則が身につきました。余談ですけどゲーム理論のゼロサムが直感的にわかるのもこの経験が大きかったように思います。

 別に外部からのエネルギーを一切使わなくても、太陽のエネルギーや風、地熱などを使っても悪くはないんですけど、なんか美しくないというか、ロマンを感じないというか、力技っぽく感じてしまうんですよね。ある意味では無からエネルギーを生み出すようなものなので同じようなもんなんでしょうけど。
 きっと錬金術にチャレンジしていた人たちはすごく楽しかったんでしょうね。今は株の自動売買ロジックあたりが叶わぬ錬金術の夢なのかもしれませんね。

 今日メプチンエアーを処方してもらいました。メプチンエアーは大塚製薬が扱っている喘息の発作を抑える薬の商品名です。
 喘息の発作というのは、呼吸をしたときの空気の通り道である気管支が炎症を起こして詰まってしまうことが原因です。ホコリとか花粉とかいろいろな原因に反応して炎症がおこることで息苦しくなっています。背筋を伸ばして座った姿勢にするとか、冷たい外気にあたるとか、なんとなく騙すテクニックはあるのですが、根本的には管が詰まっているのを解消するしかありません。
 喘息の治療としては炎症をおきにくい体質にしていく平時の対応と、詰まった状態を解消する緊急時の対応とに大きく分けられるのですが、メプチンは気管支拡張剤なので後者の薬です。炎症を抑えるのではなく、腫れたまま無理に拡げるの薬なので刺激が強く副作用も心配ですが、とにかく発作は治まります。溺れている人が藁にもすがるのと同じように、息ができない発作中の喘息患者にとってはメプチンは命の薬です。外出時に忘れてこようものなら不安で不安でしょうがない薬なんです。

 こともあろうか、サスペンス・スリラー映画の「ゆりかごを揺らす手」では、殺人方法としてこのメプチンが使われました。ターゲットの家に家政婦として潜入し、メプチンを空にしておいて、発作を起こさせて命を奪うという、とても恐ろしい手法が使われたのでした。
 しかし、喘息のメカニズムとかメプチンのありがたみって喘息じゃない人にどれだけ伝わるのだろう。我々は恐怖を実感できるけれど、健康な人には伝わらないんじゃないだろうか。どうも変な映画でした。
 主人公が喘息といえばグーニーズとかモーターサイクルダイアリーズが有名ですが(?)、この映画はリアリティというか、なんでそんな発想するの?みたいな理不尽さでずば抜けています。初めて見たときは、喘息持ち必見だけどあまり他人には知られたくない映画だなぁと思いました。ヒットしなくて良かったです。

 商売繁盛・豊作祈願・受験合格などといった「現世利益」を訴える神道方針から、「今は苦しいけれど明るい未来を」なんて来世利益を訴える仏教方針に変わってしまったのが、自民党の求心力が落ちてきた原因なんじゃないの?とふと思いました。
(決して公明党との連合を批判しているのではありません、念のため)

 未来を語るのは大切なことなんだけど、支持者が期待していることは「今食べていけること」だったハズでしょう。干ばつに弱って雨乞いをしたら「乾燥に強い農業に体質変換しなさい。現世は修行。極楽浄土を目指しなさい」な〜んて突き放されちゃって戸惑ってるんじゃないでしょうかね。
 主義主張のない自民党をなぜ支持してきた人たちがいるかというと、生活を続けていく上で必要だったから、ということではないでしょうか。もともと現世利益を叶えてきたのが自民党なのに、叶えられなくなってきたから不信がられている、と。

 露骨な利益誘導が良いと言っている訳ではないですが、本当に困っている人に奇跡を起こす(?)のは、それはそれで必要ではないかなとも思います。
 ま、お布施という名の献金や、インチキ占い師みたいな天下りとか、そんな問題は何とかしなきゃいけないんですが。神頼みする方も「勉強しなくても合格できますように」とか「打ち出の小槌が欲しい」といった他力本願な祈りまでしちゃうところを自制しないといけないですね。

 日本には神仏習合というすばらしい妥協策が根付いているんですから、現世利益と来世利益をうまくミックスして、いい塩梅でみんなを幸せに導いてもらいたいものです。

 前回の参院選では安倍総理個人というよりは、自民党の体質そのものにお灸が据えられたと考えるべきで、安倍総理が辞職して新たに総裁選をやったとしても、はっきり言ってどれだけ効果があるのか・・・トカゲの尻尾きりでお茶を濁すだけじゃないのか。
 民意を問うのであればやはり総選挙をすべきであって、中途半端なことをしても日本の政治が止まるだけではないか。

 しかし、本会議の直前にドタキャンして混乱を招くなんて、とても責任のある行動とは思えない。総理の辞任=内閣総辞職となるわけで、政局だけでなく国の運営そのものにも大きな影響がでる。
 辞めると言う決断には反対しないが、タイミングや処理方法があまりにもメチャクチャだ。しかも、辞めろコールを連呼するマスコミに屈したような形になっているのも気に食わない。ますます政治介入するマスコミを増長させるだけじゃないか。
 みんながみんな、どうも無責任すぎる気がしてならない。国民の生活は蚊帳の外でゲームをしているように見えてしょうがない。民主主義がないがしろにされているのは非常に残念だ。
 またまた円高が進んでいるようですね。手数料込みでも113円台で買えそうな勢い。今日はこの手数料について考えてみたいと思います。

相場が113円の時にドルを買おうと思ったら1ドルに付き1円手数料が必要です。
  1÷(113+1)=0.88%
1%未満の手数料ならずいぶん親切に感じますね。次に123円になったときにドルを売ろうとすると、
  1÷(123-1)=0.82%
往復を足しても1.7%くらいか、と少なく感じてしまいますね。
ほんとうに金融機関は頭がいいと言うか・・・

 例えば八百屋がトマトを市場で100個仕入れて、10円乗せて販売してみたと考えてみたらどうでしょう。で、トマトを仕入れるときにも販売するときにも1個1円の税金がかかったとする。そうすると10円のうち2円が引かれるので20%と考えることもできます。
 為替の交換手数料も同じですね。そもそも条件設定が「1個あたり1円」となっており、パーセントで言っていないのがミソです。
 小さく見える大きな数字の一例です。

 逆に、大きく見える小さな数字ですが、これの天才的な事例は「100人に1人が無料!」といったキャンペーンですね。割引率1%以上のインパクトがありますし、しかも厳選なる抽選でランダムに1名選び出すと言っていない場合も多いので、実際は1%も割引率がないかもしれませんね。経営的に見た最大のコストはオペレーションコストでしょうか。

 このように、小さく見える大きな数字と、大きく見える小さな数字を上手に使いこなすセンスが、企画業務に携わる人間には求められますね。
 コツは割合(%)を使ったり実数を使うことを、ミクロやマクロで上手に使い分ける思考回路かもしれません。

広告や広報活動の効果測定は気になるテーマだ。ずっと曖昧だったものが、ネット広告でCTRやコンバージョン率などの数値による効果測定ができるようになったおかげで、なんだかビシッとした数値で表せるような錯覚をしてしまうが、果たしてネット広告と同じように測定できるのだろうか?

 バナー広告やGoogleのAdSenseのようなターゲティング広告は、基本的には「購入」や「資料請求」、「会員登録(個人情報収集)」といった直接的なアクションがゴールとして設定されている。よって成果は件数として把握することができる。
 しかし、このような事例はコミュニケーション活動のほんの一部のみを扱っており、どちらかというとSP分野のクロスマーチャンダイジングのようなものかもしれない。

 人と人が何らかのコミュニケーションをする場合、相手のことをもっと知りたいとか、自分のことをもっと知ってもらいたいとか、双方の関係を良好に保ちたいとか、そういった緩やかなコミュニケーションがあって、そうやって信頼関係が築けた上でいっしょに食事に行ったり、遊びに行ったり、場合によっては結婚したりするのではないだろうか。
 個と個の関係では、お互いの関係の段階に合わせて、名前を覚えてもらったり、興味を引いたり、誠実さや信頼感をアピールしたりしながら、ステップを踏んで親密になっていくのが正当なコミュニケーションだろう。

 法人や商品と消費者(マス)との関係においても同様で、結局は「認知」「関心」「理解」のを深めていくのが王道のフレームだろう。効果測定においてもこの基本フレームが基本となるのではないか。広報主体や商品の特性に合わせてブレイクダウンした物差しを作成し、定点観測調査やパネル調査を用いて活動前後の相対比較で評価するのが最も妥当な方法ではないだろうか。(もちろん小規模な活動の効果が捕捉しづらい欠点は解決する必要がある)

 コミュニケーションの及ぼす効果というものが内面への効果である以上、アクションを成果として効果測定するのは少し乱暴すぎると思う。例えば良いと思った人の3割が購入する商品があったとすれば、良いと思う人数が増えれば比例して売上も伸びるので、売上を効果指標の代理として使えないことはないが、ほかの要素が多すぎるためあくまで代理にしかならない。
 費用対効果の把握ができることと、本来の効果(目的に対する達成度)を把握することを混同してしまっているのが、今の広告効果測定の課題ではないだろうか。

 また、これに関しては「電通 vs Google」のような構図で語られることにも問題があると思う。Googleを広告代理店とみるのは適当ではなく、正しくはフジテレビvs Googleとか、朝日新聞vs Googleといったメディアとの対比で語られるべきだろう。
 既存媒体が生き残るためには、Googleとの対決をいつまでも広告代理店に「代理」させず、効果測定の研究にもっと真剣に取り組まなければいけない。それは視聴者や読者である生活者と関係を続けていく上での責任とも言えるのではないだろうか。

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その名も「Great」というシューベルトの交響曲第9番を好んで聞いています。50分を超える大作で聞き応えもあるのですが、リラックス効果もあります。

シューベルトの9番はブロムシュテットなどいろいろ持っていますが、どうもテンポやメリハリのつけ方はベームの指揮するものが一番しっくりきます。
交響曲の第9番といえばベートーベンの「Choral」も捨てがたいですが、シューベルトもなかなか大した才能の持ち主です。

ちなみに国際シューベルト協会の整理では「Unfinished」が第7番になって、「Great」が第8番に繰り上がっているので、第9番よりは第8番が公式のようです。
音楽業界がマーケティングの都合で、ベートーベンの「Choral」に対抗して未完の7を飛ばして9に合わせたとの噂まであるくらい曖昧です。

この名曲がマニア受けのレベルから信じられないくらい知名度が低いのは、この番号の複雑さも原因のひとつかもしれませんね。

地域が特産品や県名の認知度を上げるため、主に都心部に出店する物産店や飲食店のアンテナショップについて考えてみたい。

まず、そもそも出店のねらいや目的は何か。ざっと挙げてみる。

1. 販売売上(一般消費者向け)
2. 地域特産物の販路拡大(飲食店・卸商等ビジネス向け)
3. 地域特産物の認知拡大
4. 都市部の動向リサーチ(トレンド情報等マーケティング情報の収集)
5. 地名のイメージアップ(地域ブランド化)
6. 観光誘致
7. 雇用確保(工場・事業所等の誘致)
8. Iターン、Uターン等の移住促進

ショップでも飲食店でも売上や利益が確保できるかどうかは重要な指標であろう。ただし2〜8の目標のプライオリティが高い場合は赤字でも広告費と考えれば十分ペイする場合もある。毎年1億円の赤字が出たとしても、どんどん工場誘致が進めば自治体単位では黒字という判断である。どれを重視するかによって立地も変わってくる。
ただ問題は2〜8の目標は成果を数値で捉えて検証しにくい点だろう。本当にペイしているのかどうかの評価が客観的に示せなければ無駄づかいと言われかねない。

また、県や市町村という漠然とした実施主体ではなく、もう少し具体的にステークホルダーの視点で考えていくことも重要だ。

自治体が主体となって、税金を使って運営する方式のアンテナショップの場合、住民の関心は税金の使われ方(すなわち収支)になるだろう。厳しい地方財政の中で赤字を垂れ流されてはたまらない。
一方で、商工会や農協に加入している商店や団体にとっては、自社商品の販売機会が増えるので、赤字運営で閉店されるより人気店となってどんどん売ってくれるほうが当然ありがたいが、たとえ運営費が赤字でもメリットは十分にある。負担金や返品時の対処など小さな課題はあるかもしれないが、大きく見ると反対する理由は無い。
旅館などの観光業界にしてみれば、本当は観光キャンペーンの方がありがたいが、何もしないよりは効果が期待できるので、こちらも反対する理由が無い。
役所にとっては、商業振興・農業振興・観光振興に加えて誘致や定住施策もできるツールを持てるので悪い話ではないが、予算や効果のとりまとめを担当するので、変なことはできない部署でもある。
そして首長さんの選挙対策としての視点。とにかくどんな方法で出店したとしても、商工会議所や農協などの団体票に対しては有効だろう。補助金や公共事業と言うのは言いすぎだと思うが、その系統の施策であることも間違いない。ここは見逃してはいけないポイントである。
要するに、地酒が有名で居酒屋としてアンテナショップを出せば人気が出て黒字になるのは間違いないと予想できても、それは酒造組合がやればいい話であって、自治体のアンテナショップとしては片手落ちなのである。

普通にマーケティング発想で考えれば、立地やターゲット、競合との差別化、話題性などから出店戦略を考えていくが、ソーシャルマーケティングの場合はそれにも増して「みんなの納得」をどう形成していくかが鍵になる。
・・・だからといって総花的に棚割してなんでもかんでも均等に扱えば、閑古鳥しかやってこない店舗になって撤退するハメになる。最大公約数が解にならないのが難しい。

総花的に集める個々のアイテムの魅力を高めるか、「○○県ブランド」のように傘となる冠ブランドの魅力を高めるというのが、無難ではあるがオーソドックスな答えだろう。
もちろん、「その地域ブランドを向上させるためにアンテナショップを出したいんですけど・・・」ということもあるだろう。そういった場合は地域の気候や風土、人間性などの魅力や特徴を訴え、いい商品ができるバックグラウンドを紹介することに重点を置いた店作りとし、広告だと割り切ってスタートした方が、結局は効果を生むのではないだろうか。
費用もノウハウも十分ではなく、しかも尖ることも許されないという条件が変えられないとすれば、目的を尖らせるしかない。

組合長理事を務めていた農業共済組合が共済掛け金を国から不正受給していた問題の責任をとって大臣職を辞任というニュースですが、大臣職を辞任するだけでいいのでしょうか?
使途不明金を説明できないのとは程度がまったく違って、雪印やハンナンの牛肉偽装事件と同じくらい悪質な不正ではないでしょうか。文書偽造や詐欺で起訴されてもおかしくないと思います。
領収書の書き換えなども、少なくとも私文書偽造、着服などがあったと判断されれば業務上横領になるような悪質さです。

うっかりミスでしたと謝って済む問題ではないことが謝って役職を降りるだけで許されるという空気は非常に残念です。正義のある不正追求ではなく、単なる嫉妬や好奇心レベルのようにも感じられます。大岡裁きで満足せずに法治国家だということを思い出す頃合ではないでしょうか。そういう意味では防衛官僚の関東軍化も全くけしからん話ですね。
こういった国のかたちの根本を曖昧にしたままで教育改革なんて言われても何だか軽く感じてしまいます。
この頃の政治の世界は少し感情だけで物事が解決しすぎな気がします。

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