安心と危険の狭間で

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福島第一原発の問題が長期化している。
極端な意見が目立つせいもあって、「放射能なんて怖くない」「タバコや自動車に比べたらずっと安全」といった安全楽観派の人と、「内部被曝とか生物濃縮とかヤバイでしょ」といった危険不安派の人とに二分されている印象がある。

周りと話をしていて感じるのは、少なくとも会社や仕事関係者との雑談では「不安ですよね」とか「ホントはヤバイんでしょ」といった話題をしにくい感じだ。
確率論で考えることが多い仕事柄のせいもあるかもしれない。普段から宝くじを買うやつはバカだ、計算できないアホだ、といった話題が多い業界なので仕方ない。ある意味で正規分布や標準偏差の原理主義者の集まりだから稀有な事象には弱いのだ。
そんな空気感もあるものだから、「早く原発が収まってくれないと“経済”がヤバイですよね」みたいな話しか展開できない。

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安全楽観派と危険不安派の違いがどこにあるのかを分析してみたらどんな感じになるのだろう。
すごく乱暴だけど、両極端を要約すると以下のようになるのではないだろうか?

安全楽観派
「危険性は証明されていない」(だから大丈夫)

危険不安派
「安全性は証明されていない」(だから心配してる)

結局のところ『良くわからない時にどう考えるか』といった価値観の問題のように思う。
原発事故の放射能の影響なんて事例は数件しかなく、それぞれ状況も異なることから、データの解釈の仕方なんていくらでもできるだろう。

ただ、議論として考えた場合、安全性の証明を求める危険不安派は『悪魔の証明』(無いことの証明)を求めていることになるので筋は悪い。
安全楽観派の人はヤバイ事象を目にすれば考えを変えるだろうが、危険不安派の人はいくら安全宣言を受けても考えを変えないのではないか。そういう意味でも危険不安派はタチが悪い。
そういう状況もあって、社会では危険不安派を名乗りにくい空気になるのだろう。

自分も含め大半の人は恐らく安全楽観派と危険不安派の狭間を行ったり来たりしていて、なんだかストレスも溜まってきたりして疲れてきてるのではないだろうか。
それこそ正規分布のグラフように山があるのだと思う。

2011年4月5日現在、まだまだ収束に向かっているとは言い難い状況で、これからどうなるのかもよくわからない。
どのくらいの期間、被曝を続けなければいけないのかもまだわからない。
最悪の事態とやらがどのレベルなのかも確信的なことは言えない。

注視することくらいしかできないのかなぁ。

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このページは、が2011年4月 5日 13:04に書いたブログ記事です。

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